ムードを選ぶだけで、空間がそれに応えます。光は冷たさや温もりを帯び、空気の流れが変わり、その感情を宿した作品だけが暗闇の中から浮かび上がります。それ以外のすべては、影の中へと退いていくのです。
アンリ・マティスの幼少期 1869年12月31日、フランスのル・カトウ=カンブレーシスにある、シュ・ド・シェーヌ・アルノーの織物職人の家で、アンリ・マティスは産声を上げました。この小さな家から始まった彼の人生は、後にノール県の静寂を遠く離れ、世界を揺るがす芸術の旅へと続いていくことになります。彼は裕福な穀物商の長男として、土地の恵みを扱う実直で堅実な商家の家系に生まれました。幼少期を過ごしたフランス・ピカルディ地方のボーアン=アン=ヴェルマンデュでは、季節の移ろいと家族の事業が生活のリズムを刻む、穏やかな時間が流れていました。 その成長環境は、芸術の世界とは程遠いものでした。ピカルディの地で育った彼を取り巻いていたのは、商家の家政という極めて現実的な日常でした。初期の生活の中に、筆や絵具といった芸術の片鱗を見出すことは困難でした。むしろ、当時の彼の存在を形作っていたのは、家族からの期待と、フランス北部の町で穀物商の息子として送る、ゆったりとした、変化の少ない平穏な
日々だったのです。教育の黎明期と法学への傾倒 中等教育を終えたアンリ・マティスは、法学を学ぶためにパリへと渡りました。1887年のパリでの日々、彼は法理論という厳格な構造の中に身を置き、研鑽を積んでいました。この時期の彼は、都会の学生に求められる静謐で規律正しい生活を送っており、すぐに画室へと足を踏み入れることはありませんでした。むしろ、キャンバスの世界とはかけ離れた、専門的な実務への道を歩んでいたのです。 その後、彼の人生は再びル・カトウ=カンブレーシスへと彼を連れ戻します。そこで彼は、地元の司法制度を支える行政官として、その重責を担う日々を過ごしました。また、公証人の事務員として、正確さと冷静な手際が求められる職務にも従事していました。後に彼が愛することになる鮮やかな色彩とは無縁の、書類と公的な義務に囲まれた歳月。彼は、筆を執る芸術家となる前に、まずは法の世界に生きる人間だったのです。芸術的修練と初期のインスピレーション 法学の研鑽からアトリエの世界へと身…